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村上春樹といえば思い出す 

ブナパパの若き日の思い出話です。

ブナパパは大学、文学部でした。

高校の先生にでもなればいいかな、と思いまして。
今でも友人たちから

「先生が向いてるよね」

としょっちゅう言われます。
逆にいえば会社員がいかに向いていないかということですね(^^;)

何で先生にならなかったのか、というのはまた別の機会に。

んで、大学生の時の話。

入学後2年間は教養部、その中で国文学の授業がありまして

最初の講義で先生が言うには

「今の学生は小説の読み方が分かっていない
それは大学受験勉強によるところが大きい。
大学受験では文章のあらすじを追うところに重点が置かれている。
でも本来の小説の読み方はそうではない。
小説の世界に浸ってさらに自分の中で想像力を駆使してそれを膨らます。
そこが大切である。」


そして様々な小説をどう読みとり、それをどう膨らますかを講義してくれました。

それはブナパパには珍しく楽しい講義で一生懸命聴きましたね。
(ブナパパ、ほとんど大学の講義は欠席して部室にいました)

そして半年の講義が終わり、試験問題は何だったかというと、

1問目。
講義の中で解説した小説の中で自由に1つ選び、意見を述べよ。

2問目。
次の小説中の文章を読み、どのように感じるか述べよ。

2問目の小説はタイトルが何とは書いてなかったですが、読んだことがある文章。
当時ベストセラーだった村上春樹のノルウェイの森の一節でした。
(短編”蛍”に同じ部分が載っていると聞いたことがあるのでそちらからの引用かも)
まず2問目から夢解釈の要領でスラスラ書いて(→過去の夢解釈の記事

さて1問目に戻ります。どの題材をどう答えようか・・・そうだ!

講義の中で純文学の川端康成”伊豆の踊子”と大衆文学の松本清張”天城越え”を比較して
「当時の伊豆の踊子が娼婦に近い地位にあり、
それを比較的高い地位にある主人公が見下ろす場面を
社会学的に人の貴賎の差を象徴していると断じ、
それに対して松本清張の作品はその部分をうまく突いて見事に暴いている」
としていました。
それはまさしくその通りです。

ただし”伊豆の踊子”の美しさは純粋に文学としての美しさであり、
それを社会学的な視点から善悪を論じるのは誤りです。

純文学の善し悪しは純粋に文学的な美しさによって評価されるべきです。


・・・などとエラそうなことを書き、さらに答案用紙の隅に

「追伸・・・やっぱり村上春樹さんの作品からの出題でしたね。
何となくそんな気がしていました」


と書きました。

これは

「私はちゃんと講義を聞いていたし、小説も読んでいますよ」

というアピールで、いい成績をもらうためのテクニックの一環です、悪どいのう(^^;)

ブナパパの大学での成績は可・不可大全集でしたが
この試験の成績は珍しく”優”をもらえたので印象に残っていますね。
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[ 2012/11/09 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

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